つれづれ

勝てば官軍

どのくらい昔のことになるのか、容易に思い出せないくらい昔の話か、あるいは記憶力の劣化による単なる失念になるのか定かではないくらい曖昧な頃の話です。

鹿児島市の城山の下に犬を連れていない軍服姿の西郷隆盛の銅像があり、そこから東側に鶴丸城跡、西郷隆盛の私学校跡が続きます。私学校跡と言っても、その予算は西郷隆盛の資産と鹿児島県がバックアップしており、現在なら「県立」と呼べるような性格の私学校で、そこで育った若者たちが明治政府に物申すと武器をとったところから西南の役が起きました。歩いてわずか10分か15分の道のりなのですが、勝てば官軍、まあ、あれです、まだらな幻のようなものです、ときどきはいろんな考えが頭の中をよぎることもあります。

IMG_1793「敬天愛人」 そう言えば、大阪の京セラDSにもあった

IMG_1811鶴丸城は天守閣を持たない平山城
「人を以って城となす、教育を以って城となす」

石垣は昔のまま残っています。西側から東側に歩いていくと、私学校跡に近づく程、石垣に鉄砲や大砲のあとが生々しく残っています。鹿児島に住んでいるひとなら、一度くらいはすぐ近くの西郷隆盛が非業の死を遂げた洞窟を見たことがあるでしょう。そして、西南の役の最後の戦いの場所となった私学校あとを見て、だれもが「勝てば官軍」、負ければ逆賊の烙印を押されるものだと再認識し、例外を西郷隆盛に求めたくなるのかもしれません。
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IMG_1839バァーン。それでおしまい。

西郷隆盛(海音寺 潮五郎)竜馬がゆく(司馬 遼太郎)を読むと、明治維新がどれほどひどい時代だったか、そちらの方が気になるのですが、その中でも同士を裏切り、かつての盟友を敵として葬り去る合理性には韓非子マキャベリを思い起こさずにはいれらません。そして、敗れ去るものは美しい、そんな哀愁の美をどこかに求めて帳尻を合わせたくなるのです。

勝てばいい。結果がすべてだ。成果が出れば、なにごとも正当化される。したがって、人間の営みの多くの時間は、あとになってしまえばどうでもいいことに多くを集中していたと悔やまれるものだとしても、そのときどきは不可抗力にひたすら浪費されるものの中で非反省的に生きることになるのです。経済と同じで、浪費は美徳なのです。若さをすり減らし、たとえ人生を棒にふったとしても、浪費が美徳なら許されるに違いない。それに、ときにはわずかな年収の違いやステータスが最重要で、いつの間にかいっさいはそれらにフォーカスされ、実利的な合理性を付与されるシステムの中でなにがしかのことをやることが自分の宿命だと考え、もうまっしぐらに進んでいる。一生懸命だということは、まるで、何も考えていないのと同じなのに、逆にすべてを考え抜いた気でいる。そうして、十把一絡げみたいなダラダラした時間だけが過ぎ去ったことにあとから気がつく。私学校の石垣の鉄砲のあとは、まるで自分の一生と同じだ。もう、なぜ、そこに弾あとが残っているのか、どんな記憶もよみがえらない。本当に、ダンス・ダンス・ダンスのメイが「かっこう」と言うのが聞こえてきそうでした。西郷隆盛も大久保利通も、きっと島津斉彬も通った道は、ひとびとのざわめきや車の騒音の中でほかの多くのひとびとの記憶と同じくらい意味を失い、印象を抽象化した風景のひとつになっていました。かっこう。

見上げると、桜島の白い噴煙は梅雨空が運んで来た雲と解け合い、一体になっていました。

IMG_1857島津斉彬の別荘(仙巌園/磯庭園)を少し過ぎたあたりから見た桜島