つれづれ

毎日、楽しくサラリーマン

何が一番いいかというと、たいしたことをやっていなくても毎月給料が振り込まれます。ボーナス月には、それなりのご褒美も頂けます。

正直、就職したとき、このシステムには感動しました。アルバイトよりも多少実入りは少なくても、文句は言えません。

これでは、サラリーマンに多少の我慢が必要なのは当然です。サラリーマンのまわりはみんなサラリーマンです(勿論、ビジネスマンやビジネスウーマンも)。それで、自分の考えをストレートに話すのは考えものです。溜(ため)はどんなときにでも必要なものです。相手がまちがっていようが、自分が絶対的に正しかろうが、ポジションの違いは関係ありません。太宰治が言うように、節度を守ることはだいじです。あけすけに自己主張して、まわりの方を不快にするのは、心配りが足りません。みんな、そうして大人になったのです。

そして、それはサラリーマンでなくても同じことです。聖徳太子の時代から和を持って尊しとしてきた伝統もあります。

しかし、欧米の方はちがいます。基本は「はじめにことばありき」です。言わなかったこと、表現さられなかったことは存在しないのと同じです。デカルトのCogito ergo sumも、サルトルの存在と無も、根元はロゴスなんですよ、と哲学の教授が言ったのを覚えているでしょう?所変われば、節度とか奥ゆかしさは「自分の考えがない、何を考えているかわからない、怖い、相手にしたくない」に変わります。本当は表現力がないのは、英語力の問題だったりするのですけどね。

また、これが重要だと思うのですが、たとえば計算ミスの問題が起きたとき、これはAさんが悪い、Aさんは検算するべきだった、と人のせいにするか、能力のせいにしがちです。日本の企業が少し湿っぽいのは、「人のせいにする」、「最終的には能力の問題に帰着する」とするところにあります。だから、「すみません」とすぐに謝ることになります。

しかし、計算ミスが起きたことが悪い、と単純にまちがいそのものを責めると、話しが大きくかわります。

欧米人はなかなか謝りません。「計算まちがいがおきたことが問題で、それが悪い」「私はいつものようにやっただけで、なんの問題もない」となります。問題そのものに問題の原因を求めると、対策は人に対してではなく、問題に対してフォーカスされます。それによって計算ミスがなくなれば、AさんでもBさんでも構わなくなります。個人の能力に依存しなくなります。最終的には、人に計算をさせないことが解になり、まちがうのがAさんかBさんかという人の問題、能力の問題から人も問題自体も解放されてしまいます。

話を戻すと、奥ゆかしいのが重宝されるのは、反論や反対がなく従順さが好まれるからなのでしょうね。自分の好きなことを言っても言わなくても、たいして結果は変わりません。のびのびと気軽にやるのもひとつの生き方です。そもそも、あなたから給料をもらっていませんからね。節度なんて糞食らえです。あっ、それが命取り・・・

Lara Fabian – Adagio