ひとつの見方

デジカメ再興の幻想

TVが普及しはじめた頃、子供たちの「活字離れ」が新聞・出版業界から指摘されるようになりました。今になってわかることですが、活字で生活していたメディアは、世の中の心配ではなく、自分たちの生き残りができるかどうかを心配していたのです。実際、「活字」はほとんど死に絶え、今では名刺の差別化のためにわずかに利用されているだけです。活字、鉛によるホットタイプ印刷、写植を使ったコールドタイプ印刷、そしてオフセット印刷へと採用技術は瞬く間に変遷しました。今では、コンピューターから直接刷版を作成し、印刷機に自動的に刷版を装着・調整する印刷方式に変わっています。フィルムは印刷プロセスから消えてしまいました。このパラダイムシフトはコダックを倒産に追い込み、富士フイルムをして富士ゼロックスと経営統合させたものです。

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デジカメとて同じです。

一枚の風景画、あるいは人物画が重要な時代は何百年も続きました。その間においては、ただ画家だけが時間を止める術を心得ていました。見たものをそのままキャンバスに留めることができました。その特典に預かれるのは一握りの金持ちや貴族だけでした。だからと言って、リザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン(1755年4月16日 – 1842年3月30日)のような画家に誰でもなれるものでもありませんでした。

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カメラが発明されると、画家になるまでもなく、カメラマンという新しい職業がいくつかの問題を解決しました。一瞬にしてあらゆる光景がカメラマンが見たまま記録できるようになったのです。人々は記念写真を撮り、思い出を自分が生きて来た証として残せるようになりました。やがて、カメラが家庭にまで普及すると、だれもがカメラマンに変わりました。好きなときに、好きな光景を残せるようになったのです。自由度はあがりました。問題は、写真を紙にしないといけないことでした。現像するか、プリントするか。

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PCが普及し、インターネットがあたり前になると、写真はプリントするものではなく、画面で見るものになりました。それはPCだったり、携帯電話だったり、フォトフレームだったりしました。だいじな一枚の写真ではなく、数えきれないくらい多くの写真が思い出として残せるようになりました。CMYKを中心に回っていた世界がRGBの世界に屈したと言ってもいいかもしれません。

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よくよく考えるまでもなく、写真ではなく、動画の方がよりおおくのことを正しく伝えることができます。動画から好きなショットを探し出し、画像として切り抜き、SNSやメールに貼り付けることだってできます。写真には動きや音声がありませんが、動画なら、視覚に加え聴覚にも訴えられます。「ああ、あの一枚はとても懐かしいね」ではなく、一連の光景が時間軸で再現できます。満開の桜は風に揺れ、下では家族連れが弁当を食べ、何か話しています。それなら、もう思い出す必要もなく、そこに昔のままに再現可能です。

デジカメ再興が、カメラが普及期を過ぎたあとで、もう一度その拡販の夢を実現しようということであれば、それは幻想でしかありません。ニーズは、写真からデジタル化された静止画像へ、さらには動画に移って来ているのですから、「デジカメ vs. スマートフォンのデジカメ」というような単純な構図を描いてデジカメの新商品を出したところで、利用者の期待に応えられるはずがありません。