つれづれ

人事を尽くして天命を待つ 2

思わしくない結果に、行く所、行く所で出くわします。良い日が半分、残りの半分は悪い日。それならいいのですが、悪い日が半分、残りの半分は悪くなかっただけ。

そんなことを考えていたら、思わず、頭の中を「他人の不幸は・・・」というのが駆け巡りました。そのあとが何だったかわからなかったので、Bingで調べました。「他人の不幸は蜜の味」「他人の不幸はわが身の幸せ」というのが目につきました。他人と比べるから不幸になるというのもありました。

それで、友人が「幸せでなくてもいいけど、貧乏は辛い」と言ったことを思い出しました。「貧乏は二種類ある。贅沢ができず、人並みに届かないカツカツの生活を強いられる貧乏と、何かをやろうとしてお金を借りたことで借金まみれになりカツカツの生活を強いられる貧乏がある」そうなのです。精神的な豊かさや心の持ちよう以前の話の世界もあるのでしょうね。

その友人と学生の頃、池袋のスナックで働いている高校の同級生に会いに行きました。彼は「夜学に通うためにはしかたない」と夜の長時間労働と過酷な貧困の現状を受け入れていました。みんなと違うからと言って、比較して何か解決できる問題ではなかったから、何でも受け入れることができたのでしょう。

IMG_0302スカイツリー @言問橋 2012.4.7 (デジカメ)

しかし、一緒に行った友人は、しばらくしたら革マル派に入り、警察に逮捕され、そのあとは警察から追われるようになってしまいました。革命、共産主義、何かしらそんなことが実現されるべきものとして目に映ったから変わったのでしょうね。世間で言う過激派運動家にはほど遠い性格のような気がしたのですが、いつの間にか、進んでいる道が普通とは違っていました。それから1年くらい連絡しなかったのですが、「会いたい、お金を貸してくれ」と言って来ました。で25万円貸しました。女がいて、堕胎するのに必要だと言うのです。お金は、ずっとあとになってから返してもらいました。女とは別れ、大学を退学し、塾の講師をして食っていました。まだ、警察から追われている、と言っていました。

そして、20年くらい音信不通で、久しぶりに高校の卒業生名簿が送られて来たので連絡したら、同級生の名簿のコピーを送ってほしいと言うので、1学年550人分のコピーを取って送りました。だれか、連絡を取りたい人がいたのでしょうか。そのときはもう東京には住んでおらず、地方で塾講師をしていていました。相変わらず、警察に追われていました。

小説家になりたい、文筆業で食って行けるようになりたいという夢はどうなったのでしょうね?売れるか売れないかは別として、きっと、毎日、自分のために書いてきたのでしょうね。自分の存在証明が書くことだったのだから、きっとそうしたはずです。しかし、よくよく考えてみれば、一度も書いたものを読ませてもらったことがありませんでした。

貧乏が、あるいは貧乏についての概念が、時々、人の生き方を変えるものなのかもしれません。本当に貧乏かどうかは、貧乏についての認識の仕方によらないはずですが、しばしば認識が価値を決定するものです。事実認識の深さの違いが価値を歪めるのです。それは、深読みがコンテクストを別の文脈に書き換えて行く、と言ってもいいかもしれません。

IMG_0300隅田川 @言問橋2012.4.7 (デジカメ)

こんなことを書くからと言って、高校のときの同級生に会いたいなどと思ったことは一度もありません。早朝から夕方遅くまで受験勉強だけで、550人全員が大学受験の身近な競争相手。ときには2年・3年合同テストもあり、1,100人に競争相手は増加。受験勉強以外の話は何もありませんでした。また、入学するときは15番で、卒業するときは550番なら、同級生に興味がわくはずがありませんよね。落ちこぼれもいいところです。

それでも、時々、不思議なことが起きます。成績順の選抜クラスには、女の子は5名しかいなかったのですが、その中のひとりに本当に偶然に飯田橋駅前でバッタリ出会ったことがあります。奇跡的な再会です。東京には1,000万人以上いるのですから、一日にひとり偶然出会うとして、最低でも1,000万分の1の確率です。実際はそれより確率は低いので数億分の一? 神田某でフランス語を勉強していて、その帰りでした。しかし、残念なことは、当然、全くと言っていいほど話すことはありませんでした。

そして、偶然はもう一度起きます。その同じ女性と、ずっとあとに、偶然、新宿の街中でも会いました。幸い、奇跡はその2回だけで終わりました。ある意味、ホッとしました。赤い糸で結ばれている感じでは全然なかったですからね。その頃は、銀座でホステスをしていました。もっとずっとあとになって、クラブを経営していると伝え聞いたことがあります。結婚はせず、それでも高輪の高級マンションに住んでいましたから、まあ、それなりにリッチな暮らしができる身分になったのでしょうね。

それで、時間が経つと、そんな3名の高校の級友の記憶も薄れ、擦り切れていきます。擦り切れるというよりか、ずっと前にどこかに吹っ飛んでしまい、手繰り寄せることなどできません。池袋のスナックも、革命の夢も、銀座のクラブも、時計の刻みの間の記憶のかけらです。脈絡も意味も与えないまま、この舞台からは消え去っています。だれもどこにも結論的なものを残さず、一度出口から出て行ったきり、帰って来ることはなかった、それだけの話です。

IMG_0274浅草寺 2012.4.7
デジカメはキレが違います。