つれづれ

徒然:リフレインのように残るもの

何かの折りにふと思い出すことがあります。それらの多くは今さら手のつくしようがなく少し寂しい気がします。

まだ東京に出て間もない頃、18歳そこそこの頃の話です。なかなか都会の生活やことばに慣れず、また寂しさも手伝い、時々同じ田舎から上京した中学の同級生と会いました。

悦ちゃんもその中のひとりです。悦ちゃんは、背が低いのに、クラブ活動はバレーボール部でした。同じクラスになっても、中学3年間を通じて話をしたことはほとんどありませんでした。そのあと、高校は別々だったし、下宿していたので、本当に疎遠、縁がないとしか言いようがありません。それでも、毎月家に帰るとき、同じバスに乗り合わせました。それはなぜか胸をときめかせました。しかし、相変わらず何も話をすることはありませんでした。それに、何と言っても特にこれと言った話題がありませんでした。

悦ちゃんとどうして連絡が取れたのか覚えていません。多分、別の同級生が連絡してくれて、会うことになったのでしょうね。ある日、アパートに遊びに来てくれました。笹塚の西日があたる今にも壊れそうなアパートの3畳間に来たのです。浪人か大学1年のときのことです。しかし、その日も何か特別に話すようなことはありませんでした。

悦ちゃんが来たのはそのときが最初で最後でした。そして、会ったのもそれが最後でした。

悦ちゃんから、高尾山にハイキングに行かないか、と誘われました。しかし、山に登っても下りるだけだし、疲れるから嫌だと、あっさり断りました。会いたいという期待や会えた喜びとは裏腹にやっていることはとても無愛想でした。多分、話はそれ以上は続かなかったのでしょうね。何もかも現実過ぎて夢がないと、話が続くはずがありません。18歳で、見るべき夢がなかったのは不思議なくらい不思議なことです。

そして、ずっと後になってから、悦ちゃんが亡くなったことを同窓会で知りました。子供がいたのに、若くで亡くなったと知り、とても悲しいでした。わざわざぼろアパートまで遊びに来てくれたのに、追い返すように帰したのはなぜだったのだろうと悔やまれました。

それに、もし高尾山にハイキングに行っていたら、自分の人生が変わっていたかもしれないと、ちょっとしたすれ違いが分かれ道になってしまったのだろうかと、自分の意志や考えだけではどうしようもない神がかりな力の存在を恐ろしく思いました。そういう意味では、運命に対して常に人は不可抗力だというのは、真実です。

言い換えれば、自分の人生に悦ちゃんがいないことを自分が選択したことで、全く違う可能性と展開があったのだと、別の道が開けたのだと思うのですが、ひとつの選択はほかのすべてを捨てることだと、それが生きることだと知るには、もっと長い時間が必要でした。

生きた時間の長さの長短で何かが決まることはないにしても、何かを得ることはそのままほかのすべてを失うことであり、その喪失感は振り返ったときにリフレインのように頭の中で何回も繰り返されます。何かを得たいと考えなくても、多くはそうして失われて行きました。

しかし、それらの多くは、これから先、生きて行く時間の中でうまく共有されず疎んじられ、忘れられていることにより、全く別の多くの選択肢と可能性となって自分を突き動かしていくのでしょう。そして、それはとても不思議な気がします。

IMG_1008雷山 千如寺 2013.11.20