つれづれ

徒然:だれも他のひとのようには生きられない。

時々、過ぎてしまったことをあれこれ振り返るとき、自分自身もそうだったけれど、だれも他のひとのようには生きられないものです。

あるとき、有名なお嬢様大学を卒業したばかりの女の子が部長秘書として配属されました。とてもおっとりして、知性にあふれるというか、上品な感じのひとでした。しかし、1年半経ったとき、辞めてしました。

23歳そこそこでの決断でした。どうしても英語の勉強をしたいというのが理由でした。まず、大学院に行き、それから留学するというのです。

きっと強靭な意思の持ち主というのは、彼女のようなひとを指すのでしょうね。

IMG_3111笹山公園から博多湾を臨む。  2014.3.8

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正面の海の向こうのビルは百道(ヤフードーム)あたり? 2014.3.8

それから長いこと、どんな風の便りもありませんでした。ところが先日、偶然、彼女の母校の大学で英語の準教授になっていることを知りました。人違いということはあり得ません。名前がそう簡単にだれかと取り違えるような名前でなかったからです。それに、偶然写真も一枚出てきて、本人確認を完全にできました。

強靭な意思とやりとげようとするエネルギーがあってはじめて、長期目標の達成は可能です。もちろん、それを可能にする能力と幸運も必要です。彼女はそんなラッキーなひとりだったのでしょうね。しかし、それだけではなく、実際はできる以上のベストを尽くしたから、目標をクリアできたのでしょう。

IMG_3121タンポポも咲いた。 2014.3.8

それで、思うのです。

自分の目標を決めて達成しようとしても、最後には、本当に実現できるひとと実現できないで終わるひとに分かれるのが厳しい現実です。多くは道半ばで別の道を選択してしまいます。しかし、だからと言って、だれも何も責めることはできません。また、何が幸せで何がそうでないか、だれにもわかりません。わかることは、自分のようにしか生きられなかったし、これから先もそうだろうということです。幸せの定義もそれぞれです。それに、「最後には」と言ったのですが、それにしてもその時点の話であり、「最後」なんて何が本当に「最後」なのかわかったものではありません。

IMG_3124あっという間に冬が遠ざかる。 2014.3.8

アンドレ・ジッドが書いているように、ひとつを選択することは他の全ての可能性を捨てることにほかなりません。ひとつの選択がほかのすべてよりも悪かったかどうかより、重要なことはそのひとつの選択をしたという事実であり、それが今の自分に導いてきたということです。しかも、その事実は今さら変えられないものですが、それ自体が生きる意味とか価値そのものだったかというと、必ずしもそうではないように思います。むしろ、生きることの意味を作るものは過去によって規定されておらず、将来に向けて、今何をするかでしか規定されないように思われてなりません。

それに、後ろを振り返ることはできても、先に進むしかありません。今が一番だいじだということは言うまでもありません。

乾杯です。

  IMG_3126一番田舎はいちばんでんしゃ 2014.3.8

IMG_3129一番田舎は地元の特産品店。 2014.3.8

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