つれづれ

徒然:力でねじ伏せる

最近、だんだんおもしろくなくなってきたFacebookから手を引き、ノイズが多いけど反応の速いTwitterを時々使っています。

TwitterがFacebookのようなlook and feelになってきたのは、当然の流れなのでしょうね。

きのうは、ニコニコで理研のSTAP論文不正に関する記者会見を聞いていました。STAP論文に不正があったとしても、理研は正しく(fairに)ものごとを進めていないと思われました。理研にとって不都合なことには蓋をしているため、税金で成り立っている組織である以上、「説明責任を果たしていない」と思われました。

  • 調査委員のうち5名中4名がcopy and pasteをし、委員長は辞任、3名は不正なしでで調査は進められました。理研によると、不正かどうかは悪意・故意があったかどうかによるそうです。調査委員の潔白性というか、妥当性というかについて記者から質問が出たのですが、理研の回答は、この会見はSTAP論文不正に関してであり、調査委員の問題についてではないと質問が退けられました。
    このことから、仮に不正を行った調査委員が含まれていてもSTAP論文不正についての結論は変わらないとなってしまい、いささか力づくだなあと感じました。基礎研究を行う組織や研究者が力づくでものごとを決め、判断しているようでは、まともな研究成果が出ないでしょう?きっと誰もが考えた問題は、理研の強引さ、非論理性の方だったと思います。
  • 同じような質問は、特許についてもそうでした。理研が出願済みの特許は、不正とされるSTAP論文のパーツを含んでいるが、STAP論文不正とは違う別の案件であり、ここでの議論にはならない。また、特許は共同出願者がおり、理研だけで取り下げると決める訳にいかない。
    つまり、特許の問題には蓋をし、先送りです。
  • 理研には、こうした会見を行うことや、弁護士を雇って対応していることに対して、国民の税金を使っているという認識が全くといっていいほどないと思われました。3,000人の論文自己点検もそうです。試算すればすぐにわかると思いますが、数億円の無駄遣いになるでしょうね。

あくまでも想像に過ぎませんが、理研という組織は、ノーベル賞受賞者がトップにいたことが不幸のはじまりだったのではないでしょうか?鶴の一声で動く組織は、当然あるべきガバナンスを形成できなかった可能性が大きいからです。論理ではなく、個人の思いつきで動く組織は、問題が起きたときに鶴の一声が大き過ぎて修正がかかりにくい傾向があります。問題の原因は何か。掘り下げが不十分で、きっちり対策が打てないためです。たとえば、鶴の一声で過去の論文をチェックしても、そのチェック自体客観性がないのですから、時間の無駄、税金の無駄遣いにしかなりません。

ノーベル賞受賞=権威主義という構図が、理研を狂わせたのではないかと思われて来ました。その裏側には、文科省出向者が利用できるものは何でも利用し、チェック機能を果たしてこなかったという責任問題があるかもしれませんけどね。中でも一番わかりにくいのは、理研が言うような問題がなぜ起きたのかです。研究活動はひとりでやっていないはずで、理研は、日常、管理監督してきたはずですよね。理研の中の問題がなにひとつ明らかにならないのは、理研自身が不都合なことを隠しているからでしょう?

理研の研究員がその権威主義に迎合する限り、理研に税金を使うのは文科省・政府の責任問題です。もっとも、きょうの文科相の判断は、国民感情に合致していて、そのうち、理研の立て直しに向かえばいいと思われました。楽天的過ぎますか?

あと、研究成果の虚実については、論文・実験・特許などで反証/実証されるべきでしょう?理研は、労働問題にして裁判所で闘いたいのでしょうか?それでも、論文取り下げと懲戒解雇取り下げを交換条件にして、これが外に漏れたら、それこそ理研の終わりのはじまりになるでしょうね。

理研「不正は明らか」 STAP論文で結論、小保方氏処分へ

STAP論文 調査委と理研の会見一問一答

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