Day: July 6, 2014

見方:組織の虜になった研究者たち2

前の意見を書き込んだあとに小保方さんによる検証実験の遂行を支持するという記事がアップされていたことを知り、以下のコメントを追記しました。研究者・教育者の意見ブログについてではないのですが、議論が閉じていることにより、罪を裁かずひとを裁く方向に多くの議論や問題提起が流されています。処罰を求め、排除すれば浄化できる、と言わんばかりです。しかし、その結論だけを追い求める考えは、多分、まちがっています。結論ありきでは、プロセスがぶっ飛び、政治的力学に利用されるだけです。

スクリーンショット 2014-07-08 08.11.22理研CDB自己点検からの引用

スクリーンショット 2014-07-13 13.19.04

先の記事に長文を投稿させて頂きましたので、行きがかり上、この記事についての感想も述べさせて頂きます。

理研が常軌を逸していると見えるのは、ガバナンスを欠如した組織が政治的力学に屈服したことによる一時的な不安定期にさしかかっているからでしょう。「特 定国立研究開発法人」認定に向けた政治日程に組み込まれた動きをしているだけです。どなたか指摘していましたが、素人目にも、理研がやっていることは科学 の問題からかけ離れて来ています。

岸氏は12月くらいまでに解体(=新組織or単なる看板架け替え)案作成、3月末までに新体制準備完了と言っていましたから、早ければ上層部の解任・引責 辞任が12月頃で、そのときに混ぜこぜになってこの案件もfade out。その後は、特定国立研究開発法人として仕切り直しで元の木阿弥。実にあってはならないシナリオのひとつです。

そうした先々の決着や推測はさておき、研究者は開かれたコミュニティを確立する活動をされた方がいいのではないでしょうか。ツールとしてブログ、 Twitter、Facebook等どれが適切かわかりませんが、最終的には、著作家、弁護士、企業の経営者等を入れたグローバルでオープンな活動が望ま しいと思います。特に世界に開かれていることが重要だと思います。

勿論、既にどの研究者も言いたいことを自由に発言でき、横断的な対話も十分あって、何もそのような問題や心配がなければ、それに超したことはありません。

IMG_3760博多山笠の季節です。

見方:組織の虜になった研究者たち

ずっと考えていたら、「組織に魂まで奪われてしまった研究者たち」というイメージが自分の中に出来上がってしまいました。

全くもって畑違いであり、到底何かにリーチできるようなものではないのですが、研究者・教育者の意見(ブログ)に以下のコメントをさせて頂きました。

研究の世界とは関わりのない本当に通りすがりの者です。この件では、あまりに多くのことが頭の中に浮かんでしまい、まとまりがなくなりました。

 

1. まず反対か、賛成かというようなことではないと思います。

 

2. 次に、税金の無駄遣いかどうか、STAP細胞があるかないかよりも重要なことは、「STAP論文不正とは何か」を再定義することが先ではないでしょうか。これまで論文の誤謬とその直接的な箇所・原因については多くの議論があり、指摘がありました。

しかし、それらは、Science誌に掲載された謝罪文における誤り(the errors as misconductやcritical errors)についての指摘でした。それにもかかわらず、ネットの否定的意見や非難の多くは、小保方氏の不正(misconduct?)について当然の事実として言及してきました。誤謬については理解可能なのですが、不正についてはどのような性質のものなのか、具体的にさっぱりわからないのです。

そもそも、理研はなぜ論文不正・研究不正が起きたのか、また、研究活動における管理監督責任はどこまで及ぶべきものだったか明確にしていません。記憶する限り、論分不正を認定しただけで、研究者の関係性の面での追求や分析は闇の中です。とても中途半端な状況下で、世界三大研究不正というようなことばが先行しています。

 

3. 理研がなぜ論文不正を定義できなかったかについて考えるとき、調査委の透明性・独立性・客観性が担保されていなかったことが一因だと思います。簡単に言うと手前味噌。誰が調査委員であっても結論は同じという考え方や風土が、論文不正・研究不正を生む背景にある、と思いまいます。プロセスが重視されず、結論だけ合えばいい、そういう考え方です。このような考えは、組織のhierarchyにあっては上位者の指示・命令や考えは絶対的であると作用し、対話による活動を妨げます。適正な対話があれば、fatal errorになる前に是正なり、軌道修正がかかるものですが、修正がかからないまま進んでしまうのです。

 

4. 調査委がもたらしたもうひとつの問題は、小保方氏が100%悪いとしても、多くの意見に見られるように理研から小保方氏を排除し、科学(化学)の世界から追放したところで、問題の解決が図られないという問題です。単なる排除では、高橋政代氏が期待するような「環境を整える」ことにも、「倫理がしっかりする」ことにも、ましてや「波風」が凪に変わることにもつながりません。問題の根本的原因を分析・把握し対策を立てなければ、元の問題を誘発する環境にもどるだけの話です。これは看板を架け替えても同じことです。思うに、高橋政代氏も、理研も(理研上層部もその構成員も)そのような基本的なことは承知していて、問題の原因を徹底的に追及せず、解決策だけを求めているのではないでしょうか。つまり、将来の論文不正・研究不正の再発を事前の暗黙の了解として、先に行こうとしているのは、たいへん残念で危険なことです。

 

5. もうひとつ整理されていない問題として、研究テーマとしてみたとき、STAP細胞の研究は未来永劫不要なのかどうか。研究テーマが個人に張り付いていると、それはそれで別の問題がありますが、たとえば米国ではこの研究を継続し、日本では研究を放棄するというようなことにはならないのでしょうか。

基礎研究は商品開発と違い、時間とお金がかかるし、その上、優秀な人材を集め・育成する必要があると思います。ポアンカレ予想が何の役に立つかはわかりませんが、100年近くかけても解く価値はあったのですよね。そういう研究が必要かどうかは、ぜひ専門家の方々で議論してほしいものです。

このことは逆に言うと、先に高橋政代氏が「iPS臨床研究中止も」という刺激的なメッセージを発信されたのですが、(1) 研究テーマを個人に帰属させるべきでない、(2) 研究リーダー(研究組織)はひとり(ひとつ)だけに絞るべきでなく、常にバックアップで別ラインを走らせた方がいい、そういう教訓になったのではないかと考えます。ひと・もの・かねのリソースに限りがあり、二重化は不可能と門前払いの姿が目に浮かびますが、集中も必要だと思います。

 

6. あと、どうしても2点だけは申し上げておきたいです。

(1) 対話もしくは自由の保証

理研に限らず研究所や大学は、研究者の活動や発言に枠をはめたり、フィルタリングしたりするべきでない、と思います。たとえば、高橋政代氏が理研上層部を批判しようが、iPS臨床研究中止を訴えようが、メッセージはいつか適正な方向に収斂するとポジティブに考えた方が、びっくりしないですみますし、真の理解が加速します。一般企業のように、外部へのメッセージ発信はすべて広報部門とするという考えやルールは、むしろ自由な発想やあるべき議論を阻害します。

むしろ、広報部門や上位者は個々の研究者の良き保護者であり、アドバイザーであった方がいいと思います。対話のあり方、マネージメントのあり方を見直した方がいいと思います。最初、高橋政代氏の発信や行動には、社会人として不見識で到底許容できないと思ったのですが、よくよく考えたら、そのようなメッセージ発信ができないことの方が問題だという考えに至った次第です。むしろ誰もが、高橋政代氏のように発言するべきだったし、行動するべきだったのです。

(2) 査問委員会

理研の調査委員会の失敗は、透明性・独立性・客観性を担保できなかったことが一因です。今からでも遅くないので、外部委員を入れた調査委を作り、関係者全員からヒアリングして、「STAP問題が個人によるものなのか、組織的なものなのか。なぜこのような問題が起きたのか。再発しないようにするにはどのような対策が必要なのか等」の原因系の追求と再発防止のための対策立案をやって頂きたいと強く希望します。

ウォーターゲート事件から40年経ったそうですが、米国が絶対的な権力をもつ大統領を巻き込んだ事件を解明できたのは、公聴会の役割が大きかったと思います。問題を秘密裏に穏便に葬るのでなく、事実を淡々と解明し、再発防止策を打って行くことがやるべきことで、研究者が自らを守ることにつながると思います。

IMG_3796飾り山