つれづれ

徒然:まだプログラマだった頃

とても遠い昔、ほんの少しの間、プログラマでした。

もう、とてもとても遠い昔の話です。大学を卒業してすぐにプログラム開発の仕事につきました。そして、7年間、本当に寝るのも惜しんでコードを書き続けました。それがわたしのプログラム開発経験のすべてです。

はじめてアセンブラで待ち行列管理のプログラムを書き終えたときは、本当にうれしいでした。入社して2ヶ月目、ちょうど今頃には、旅行代理店に就職して気軽に世界を飛び回ってみたいといういい加減な浮かれ気分をすっかり忘れ、心底からプログラム開発に打ち込んでいました。

最初のプログラムは、回線制御をするコンピュータからメッセージを受け取り、下位タスクに渡すチケットを作って、タスクをキック・管理するリエントラント・プログラムでした。動き出したときは、目には見えないものの、とても感激しました。記憶領域のダイナミック管理とqueue制御でこの不思議な世界にどんどん引き込まれました。

難易度が高いのによく新人でそんなことができるものだね、と言われたものです。文系の変わり者の誕生。まあ、実際は、言われた仕様通りにやっただけ。たいした話ではありません。

その後、毎年、スクラッチで少なくとも1万行〜2万行は書いていました。一番多かったのは、3つのOSに対応したアプリを書いたときで、このときはコピーも多かったのですが、全部で8万行以上になりました。

しかし、自分の能力の限界は、それより下の1.5万行くらいでした。それ以上はコードを記憶しきれず、リストが必要でした。このときは、プログラムは日本語処理を単純化するためにリカーシブルに作る必要があり、デバッグがとてもたいへんでした。そして、仕様のインプリもむずかしいでした。いわゆるオブジェクト処理が必要で、ロジックで処理を書くことは不可能でした。

そのとき、はじめて、もうこれ以上はできないと思いました。そして、高残業で人生を無駄にすべきでないとも考えました。やるべきこと、あるいはやりたいことは別にあるに違いない。そう思ったのです。

その頃一番辛かったのは、書いたプログラムが頭の中から消えず、常にデバッグをしている状態が24時間続いたことでした。

それで、とうとうgive up。メーカーに転職しました。自分で企画した商品を出したい。そんな気がしたのです。いやはや、都合の良い立派な理由が次々に頭に浮かびました。実に立派なものです。

しかし、ものごとはそんなに簡単にいくはずがありません。企画・広報といった部門はエリート部門で、デリートと言われたわたしには、その新しい会社では関係ありませんでした。

しかし、5年間下積み生活をしたら、たまたま入社のときの上司が人事部長になり、異動希望の相談をしたら商品企画部に移してくれました。ラッキーでした。憧れの商品企画部で、エリートの中のデリートとして下積み仕事を1年ほどしたら、またまた不思議な縁で海外の超大手企業と商品企画の話をする仕事の担当になり、これまた英語と商品企画の勉強をさせてもらいました。このときは、早い話、物事を前に進めるには、タフな話が必要だと学びました。

商品企画は提案することが仕事です。そして、リアルの商品が存在しないほうが一番パワーのあるスーパー商品を提案できます。世界の市場を制覇できないような企画は無意味です。トレードオフは、もってのほかです。こんな馬鹿なことを毎日毎日やっていると、本当に馬鹿になりそうでした。世の中に出て行く新商品の担当にアサインされときは、ほっとしました。

そうこうしている間、プログラムを書くことも、思い出すこともなくなりました。

最近、趣味的にアプリ開発をしていると、「昔取った杵柄(きねづか)」という言葉が頭に浮かびます。「三つ子の魂百まで」も同じこと。昔と状況がことなるのは、納期がないこと、集中力が持続しないこと、少しボケてしまったことです。

昨日から、ファイル/フォルダを階層表示するためにバッファのダイナミック管理を実装しています。

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