つれづれ

徒然:生きる理由、その目的?

長く生きていると、たまに「なぜ生きているのか?なんのために生きているか?」考えることがあります。

ポール・ゴーギャンは、「我々はどこから来たのか 。我々は何者か。 我々はどこへ行くのか。Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?」という題のを描きました。自分の存在理由と目的を知りたいという願望は、いつの時代にも共通した、きっと避けて通れないテーマなのでしょうね。

多くの場合、明確な答えがない質問は忘れがちですし、そうすることは、どこまでも続く堂々巡りに潰れてしまうよりか、理にかなっています。何日か、何ヶ月か、場合によっては何年も忘却したまま生きてしまうのはあり得ることです。テーマ(命題)に対して答えが明確でないので、ついつい横に置いてそのままになってしまうのは、仕方ありません。

年を取り老い先が短くなってしまうと、そうしたつまらないことをあれこれ考えたり、思い出したりします。

振り返ってみると、結局、17歳の頃に思い浮かべたものと実際の人生は全く違ったものになってしまいました。こんなはずではなかったというよりか、想像さえしないものになってしまったのです。良し悪しの判断は自分にはできませんが、何事にも夢中になって向かって行ったのは、きっとそれが楽しかったからでしょう。何回か、もうそれ以上ついていけない思いがしてきて、投げたこともありましたが、それは保身とか保全という意味で良いことだった気がします。

今は先が閉ざされていることが感覚的にかなり明瞭に理解できます。そして、自分にできそうなことの限界もおのずから浮かび上がります。それだけに、ひとは何かするために生まれてきたのでも、何か理由があって生きているのでもないような気がしてなりません。個々の成功や失敗はとても小さな事象で、それ自体には、たいして意味や価値はなく、生きるエネルギーとは関係ないように思われます。