つれづれ

徒然:英語漬けの日々

英語漬け。まさか、こんな羽目になるとは。

実のところ、学生の頃より数倍は英語の勉強しました。英語のニュースは、会社で仕事として毎日十数ページ読みました。電車で移動中は聞き取りの勉強。家では、ペーパーバックを読み漁りました。

学生の頃に読まされた1984とかエリア随筆、はたまたシェークスピアには、全くお手上げでしたが、Sidney Sheldon、 James Patterson、Danielle Steel、Nicholas Sparksはおもしろくて本当に夢中になりました。短期間のうちにほとんど全シリーズを読みました。探偵ものは会話が多く、ストーリーが追いやすいのでいいです。他方、恋愛小説は、心の機微を表現するときはこう言えばいいのかという勉強になりました。Audio book聞いて、本でさらに勉強するというやり方をした時期もありますが、これはあまりいいアイデアではありませんでした。耳から聞くものと目で見るものが同じなので飽きてしまいます。それで、Audio bookと本は別々のものにしました。

当時、担当していた仕事のビジネスサイズは日本が半分、海外が半分くらいでしたが、業務量は圧倒的に英語が多くなりました。海外出張は年3、4回で、西海岸から東海岸に移動しなければならないことも多く、これは人間輸送実験に思えました。最初の頃は物珍しさで楽しみもあったのですが、最後の頃は土産も買わないで帰国することもありました。ラッキーだったのは、いつもビジネスクラスが使えたことです。ワインとビールが飲み放題という意味でです。

一度など、シンガポールから香港経由でサンフランシスコの予定が寝過ごしてしまい、日曜日にChangiー成田経由に変更して行ったことがあります。人間輸送実験。旅行家と蔑まれることもありました。しかし、仕事は想定以上にハードでした。コストアップの問題、重要品質問題、納期遅延、特許訴訟、企業買収、アライアンス等々、何でもあり。夜半まで会議しても終わらない内容ばかりでした。アメリが人が9時ー5時だというのは幻想です。シリコンバレーのベンチャー企業では、泊まり込みもあたり前でした。みんな何を考えているのやら。お金持ちになりたいのかな?それが成功するという意味?

一度だけ101を運転中に気を失い事故りそうになりました。クラクションで目が覚め、無事、ホテルに帰り着きました。これは後から思い出しても怖いです。

それはそうと、こちらが年3、4回海外出張に行くということは、米国からの来訪がその二倍あるということです。東海岸のおもしろくない連中と西海岸の楽天的な連中が別々に押しかけて来るのです。つまり、一年のうち18週間はF2Fミーティングがあり、そうでないときはビデオ会議か電話会議があり、四六時中、英語、英語でした。おまけに、Asia Pacificからも割り込みがあり、とてもたいへんでした。

会議で何を議論し、どう結論を出し、イッシューをどう解決していくか。英語をどうこうするよりか、こちらの方が問題でした。中には役員マターあり、いつもの調子でいい加減にできないものもありました。ペーペーにそんなことまでやらせないでほしい。しかし、一兆円企業の役員だからと言って、何か決めてくれるわけではないので、それはそれでたいへんでした。

そうした混乱の象徴がもうひとつあります。なんと、米国からエンジニアが長期出張でやってきたのです。半年から一年、面倒みてほしい、いいだろう?えっ?断れないでしょう。えっ?誕生日?仕方がない。あした、家に来て、誕生パーティをしてあげるから。やれやれ。お人好しにも限度があります。

でも、今考えると、日本語がわからないまま駐在になるというのもかわいそうなものです。その通り。確か1993年、二人のイスラエル人がやって来た日も、ユダヤ教の制限がある人は蕎麦屋に、そうでない人は寿司屋に分かれてディナーをしました。この海藻には・・・がないかとか、日本酒はOKなのとか。想定外のことに巻き込まれすぎたかもしれません。本題はどこだ?そう、本題は確かにそこにあったので2004年までは何とか気を失なわないですんだのですが、プレッシャーに押しつぶされそうでした。

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