Category: ひとつの見方

徒然:下着泥棒疑惑の高木復興相 一問一答

「白い手袋を…」「週刊誌にあるようなことはない」 下着泥棒疑惑の高木復興相 一問一答

 高木毅復興相は20日の記者会見で、過去に女性の下着を盗んだと一部週刊誌が報じた問題について「事実でない」と述べた。主なやりとりは以下の通り。

--週刊誌報道は事実か「週刊誌にいろいろ書かれている報道があるが、そうした事実はございません」

--報道では、高木氏が合鍵をつくって勝手に(女性宅に)上がり込み、たんすを物色して下着を持ち帰ったとか、大学生のころに交際相手の下着を盗んだなど、被害者の方のコメントなどもかなり具体的に書いてある。それでもやってないと言い切れるか。


全くくだらない。自民党は人材の宝庫?そうでなければ、個性の宝庫。週刊誌にあるようなことはないを100%信じるとしても、、週刊誌にないようなことが何かありそうだ、とメディアが食らいついているのはもっともなこと。

安倍政権が臨時国会を開かないのは正解。派閥の推薦と首相の専権事項が秋風の中の枯れ葉のようにに揺れています。やれやれ。

徒然:大手3社が似た料金設定は問題だ

菅官房長官「大手3社が似た料金設定は問題だ」「ライトユーザーに沿ってない」

 菅義偉官房長官は19日の記者会見で、総務省が有識者会議で携帯電話の料金引き下げ策の議論を始めたことに関し「大手3社が似たような料金設定を しているのは、国民から見ても問題だ」と述べた。その上で「透明性について委員会でしっかり議論してもらいたい」と注文を付けた。

菅氏は、3社の料金体系が「決まった料金しか選べず、さまざまな利用者、特に(利用の度合いが低い)ライトユーザーに沿ったものになっていない」と批判。


おもしろい人たちが政治をやっていますね。

キャリアの電話料金が似たり寄ったりなのが問題なら、営団地下鉄とJRの料金も問題だし、コカコーラとペプシも、Amazonとyodobashi.comも大問題でしょう。キリンビールとアサヒビールの値段が同じなのも、ガソリンスタンドの値段が同じなのも大問題です。電車賃や水道料金にライトユーザーとヘビーユーザー向けがあり、いろんな選択ができるようになっているのですか?

家庭の財政の負担になっているものを緩和したいなら、嗜好性の高いタバコやアルコールの販売を即やめてしまい、飲み屋も営業停止にすればいい。似たり寄ったりのコンビニも酒屋と同じに出店を許認可にし、統制すればいい。

そうかと思えば、他方では、消費税値上げは社会保障制度の保証・充実のためだと言いながら、国家予算の方は税金をどんどん使う方向に膨れ上がるばかりです。国家公務員の皆さまも、政治家の皆さまもよくわかっていらっしゃる。国民から税金を巻き上げた方が勝ち。

それで、税金の対価は何なのでしょう?不良サービスの充実?まさか、そんなことはないですよね。

お国のために散った御霊を慰霊するために靖国神社に行くのは止めないけれど、本当にそんな気持ちがあるのなら、もっと別のことをやるのが日本人としてのつとめじゃないの?百歩譲ったとしても、天皇陛下が行かれない靖国神社に政治家が行く理由も判然としない。透明性?まず、自民党は自分の足元を見るべきでは?

これで自民党の支持が盤石だと思ったら、おめでたい。思い上がりはこうして生まれ、すぐに大きく育ってしまうものなのでしょうね。消費税の2%還元をお恵みか何かのように弄んだしたしっぺ返しは、来年の選挙で味わえるでことでしょう。食物の恨みはなかなか忘れられないものですからね。

徒然:安全保障関連法反対!と野党の役割

時々、政治のことを考えます。厳密には、政治ではなく、政治家の役割について考えることがあります。

私のような単純な頭の持ち主には、野党が「安全保障関連法は憲法違反だから廃案にするべきだ」と主張するとき、「安全保障関連法は、憲法を変えて実現するべきだ」とか、「憲法違反にならないように、先に憲法を変えろ」というふうに聞こえてしまいます。

日本国憲法は変えることができることになっているので、変えるべきか否かの立場は別にして、変えることができます。「憲法は絶対に変えるべきでない」という主張は、最終的には、多数決に帰結します。三分の二という境界線があるようですが。

それで、野党の反対は、多数決で憲法を変えてしまえば、「何だってできる」「何でもやっていい」という主張と同じに聞こえ、実に無味乾燥な主張だな、と思えてきます。平和憲法を維持するべきだというのは、重々理解できるのですが、教条主義・原理主義的に呪文を繰り返すことがなぜ現在の平和を維持可能とするのか、さっぱりわからないのです。

また、安全保障関連法について国民の理解が進んでいないと言われていますが、野党の皆様は何時間も国会で自己主張をされることはあっても、法案がケースでどういう意味を持つのか、ひとつひとつ検証するための質問をされたのでしょうか?また、百歩譲ったとして、成立した安全保障関連法をどのようにして廃案にするのか、そのプランとか、プロセスについて何か示されたことがあるのでしょうか?

一般に、理解が進まないのは、質問がない場合です。反対だから全く違う対案を出すというのはひとつの考えですが、その対案がないのなら、何がどう問題なのか明らかにするべきです。「憲法違反だからダメだ」「憲法学者が憲法違反だと言っている」ではなく、安全保障関連法の何がどう問題なのか、ひとつひとつ明らかにしてもらいたい。そうすれば、廃案にむけてどういう活動をすればいいか、選挙でなぜ野党に投票した方がいいか明らかになったのではないでしょうか。

野党の長い長い演説や議長への跳び乗り・閉じこめ行為などは、税金の無駄遣いを国民に示しただけです。これは強い共感を呼ぶというよりは、小さい子供に、反対したいときは何でもありなんだよ、と身をもって示しているようなものでした。政治家がこんな調子では、日本の民主主義が成熟するには、もっともっと時間がかかります。

個の自立とか、自由とか、どこ吹く風。国会議員が日本を壊していると思われる今日この頃です。

徒然:ふと思い出したこと、河野太郎氏。

先程、内閣改造の記事を読み、河野氏のことを思い出しました。

それは、「河野太郎党行政改革推進本部長に、国家公安委員長と行政改革担当相を兼務させる」という記事です。

まだ、河野氏が若かった頃、少しだけいっしょに仕事をしたことがあります。しごとと言っても、お金をたくさん使うタスクフォースに参加しただけの話なのでたいしたことはありません。もっと記憶を辿ると、そのとき、1年くらい同じ場所に机を並べ、年末の打ち上げも一緒だったことを思い出しました。その頃は、同じ部署にだったのですね。

いかにも育ちのいいお坊ちゃんという感じで、淡々と卒なく仕事をこなしていました。

まわりでは、政治家になることは想定されたものの、本人からはそんな強烈な訴求はありませんでした。場をわきまえてのことだったのでしょうね。そもそも、何か政治的な議題をみんなで議論したところで、気持ちはスーッとしても、何か解決への糸口を見つけるのは期待薄です。

こうして思い起こしてみると、何もなかったのと同じくらい無味乾燥を感じます。自分自身、自民党支持者でも河野氏後援会員でもないので、余計に「ふーん、そうなんだ」というくらいのありふれたニュースに見えました。

思い入れがないと、こんなものかもしれません。

その点、Bruce Chizenはまじめで熱心なセールスマンだった、という強い印象が今でも残っています。日本人と米国人の気質の違いみたいなものもあるのでしょうか。

もし、何か共通して言えることがあるとすれば、人の上に立とうとする人は、人の上に立てるかどうかは別として、威張り散らかしたり、余計な衝突でエネルギーを消耗しない方が賢明だとよくよく心得ている、ということでしょう。結果が出せるかどうか、結果が何を意味するか、それは別の話。

徒然:メンテナンスフリーと複写機ビジネス

1枚コピーすると10円チャージするのが複写機のビジネスモデルでしょう?

多分、それでまちがっていないのですが、誤解があると思います。ある複写機会社の常務に「私たちの財産はカスタマーエンジニアですからね」と言われた日のことを思い出します。

今さら言うまでもありませんが、元々、手書きだったものを一瞬にして再生できるのが複写機(MF機)のバリューでした。印刷や写真との大きな違いは再生(コピー)のスピードにありました。もうひとつの特徴は、誰がやっても同じものが再生されることでした。これは模写や手書きとは大違いでした。官公庁が真っ先に複写機に飛びついたのは、理解できます。

他方、同じテクノロジーを使ったプリンタはコンピュータに蓄えた文書や画像などの情報を紙の上に再生します。複写機にとても似ているのですが、だいぶ違います。実際、プリンタのビジネスモデルは売り切りをベースにしていますし、複写機とは対立概念の域にあります。

世の中は、手書きから電子文書に移り変わり、モノクロの世界はフルカラーに変わりました。バリューの増大は情報量の増大と同じ動きをしました。しかし、バリューの増大がビジネスの拡大、つまり売上高の増長をもたらしたかというと必ずしもそうではありません。

カラーコピーが300円、白黒コピーが30円の時代に、米国では白黒コピーが10円相当で今に原価割れするだろう、と言われていました。当時、商品戦略とビジネス戦略はカラー化・プリンタ化を目指し、どの複写機メーカーもポストデジタルを基本戦略としました。

冒頭に書いた誤解は、このときも存在していました。つまり、メインテナンスフリーにすれば、さらに儲かるのではないか、コストセーブができるのではないか、という考えがありました。実際、30ppm以下の中小オフィス向け機械の場合、保守料金とサポートコストは見合わないと考えられていました。

米国がいわゆる複写機のレンタルビジネスモデルを捨てたのは、保守コストを適正化できなかったからだ、と言われています。日本の場合、お客様先まで往復1時間なのに、米国は4時間から8時間かかり、しかもすべてをカバーできないので、パーツをお客様先に置き、お客様にメインテナンスして貰えばいいではないか、という考えになったのだそうです。

重要なことは、複写機は紙送り機構や現像器を有する摩耗したら必ず保守が必要な機械であり、1枚コピーしたら○○円頂くのは、そのコストを回収するためであり、お客様に最良の状態で使って頂くことを旨としているからだ、という点です。

それで、冒頭の常務は「それだから私どもの会社はサービス業を会社設立当時からやっているわけです」とおっしゃるのです。米国ゼロックスが衰退した理由は、サービスを放棄したからだ、と言われます。企業存続には、バリューをどう創造していくかが重要です。しかし、お客様の役に立つことで対価を頂くというのでなければ、ビジネスの存続はむずかしいでしょう。ものを売っていくらの世界がガサツで長続きしない理由は、サービスという考えが根底にないからでしょうね。

徒然:ダメなものは駄目。シャープ。その2

シャープ、管理職ポスト600削減 カンパニー制組織発表

  • カンパニー制を10月1日に導入するのに伴い、管理職ポストを600程度廃止する
  • 部長など400ポストを廃止。副本部長や副事業部長など「副」が付く役職は、大西徹夫副社長執行役員を除き全てなくして200ポストを減らす。

先に一言お断りしておくことがあるなら、日本の場合、企業の役員といえどもサラリーマン役員なのだからオーナーと違って責任の度合いが違うという考えについてです。それに、スティーブ・ジョブズのように1ドルの報酬でやっていける訳ではない。役員といえども限界がある。ふーん、そんな考えでいいのでしょうか?

責任の取り方が違うなら、好き勝手にしたり、いい加減にしたりしてもいいということであるなら、誰しもそれは違うと言うでしょう。

放漫経営や無能な経営の結果は現場に次々に襲いかかってくる訳で、最後の最後は、早期退職、子会社や関連会社への移籍、失職といったことになってしまいます。これはある意味で聞こえがいいのですが、実態は大幅な減収につながったり、場合によっては得られるはずの退職金が激減したりで想定外のことが多いです。

会社の建て直しのためにそうした決定をするのは、会社に残る人達、会社に残ろうとする人達です。まあ、役に立たない奴らは追い出そうというくらいの発想なのでしょうね。

では、だれが会社に役立つのか?それが本質的な問題です。そして、一番の問題は、会社に役立たない人達が先導する場合です。やってみないとわからないというのら、これまたとんでもないことです。

どこの会社でもやっていける能力や技量がある人なら、真っ先に辞める決断ができるし、最後の最後までやり続けることもできます。問題は、この会社でしかやれない多くの人達です。工場移転で生産部門がなくなるようなケースほど、何が企業責任なのか考えさせられます。

商品ポートフォリオや事業戦略の見直しによるスリム化なども聞こえはいいですが、ほとんどの場合、過去の経験に基づくもので、そもそもその過去の経験が企業経営に問題を起こしたことを考えるとき、いかにいい加減なものか察しがつきます。自己矛盾はあってもいいのですが、あまりに酷すぎることが平然と起きてしまうのも現実です。

シャープや東芝は、今、まさに逆境の中にありますが、知恵を絞ってそこから脱出してもらいたいです。

徒然:ダメなものは駄目。シャープ。

シャープ、管理職ポスト600削減 カンパニー制組織発表

  • カンパニー制を10月1日に導入するのに伴い、管理職ポストを600程度廃止する
  • 部長など400ポストを廃止。副本部長や副事業部長など「副」が付く役職は、大西徹夫副社長執行役員を除き全てなくして200ポストを減らす。

こうした意思決定は、大変残念なことに、あくまで一般論ですが、多分、「アホ」経営陣の完全な勘違いから起きる事象のひとつではないでしょうか?

どこの会社もまあまあまともな人材というのは、40歳台、マネージャや課長と呼ばれる役職までで、それ以上は両手を擦り擦りするしか能力がない2階に上がった人達ですからね。ピーターの法則を持ち出すまでのことはありません。

ましてや、役員という肩書きがつく人達は事業運営における意思決定の責任を取るべき人達であり、今さら自分の失敗をカバーする役割を演じるのは出来過ぎというか、やり過ぎだと思いますよ。すでに経営能力がなかったことが証明されているのに、この先、立て直すことができるという発想をすること自体、更なる無能の駄目出しでしかありません。

結局、保身の連鎖が組織に起きている限り、過去の栄光が目の前にチラツキ、過去のやり方を踏襲するためプロセス改革が進みません。頭の中を変えるには、人事を一新する、若返るしかないのですが、現経営陣と事業推進者に都合のいい組織変更は、都合の悪いものを除き、少し見てくれを良くするだけのことです。

結局、やる気のある能力が本当に高い人達はそういう中で今までと同じに腐ります。輸出企業が、80円の円高が120円になってもうまくやれなかったら、その経営陣は文句なしに総入れ替えするべきでしょう。これでは、従業員に厳しい会社、もうひとつのブラック企業と呼ばれてもそう文句は言えないでしょう。

それと、優先順位とか重要度付もまちがっているのでしょうね。残念。

数年前にパナソニックに買収された鳥取三洋と何回か商談をしたことがあります。そのときの悲哀を思い出してしまいました。現場と経営の意思決定が遊離してしまうと、現場は最低最悪の状態にどんどん押し込められて行きます。これを悲哀と呼ばないとしたら、何と呼べばいいのでしょう。